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This is the archive for March 2007

2007/03/15

法律独自の立場から決定される文理解釈

 文理は法律の独自の立場を忘れずに、用いられている文字の常識的な意味を尊重します。

刑法で、窃盗とは他人の財物を窃取することだと定め(刑法235条)、その物とは有体物(民法85条参照)と考えるのが普通だと言われていました。そこで、電気を盗むことは窃盗か、という問題が起きたときに、物理学者は有体物は物質(液体・気体・固体)に限り、電気はエネルギーだから有体物ではないと言ったとしても、そのことが直ちに電気の法律上の意味を決定するのではなく、窃盗の目的を財物に限ったことの意義(立法理由)を検討することによって、刑法独自の立場から判断されなければなりません。つまり、法文の字句の解釈ということは、国語の字句や専門科学者の学説によって定められるものではなく、法律独自の立場から決定されるもので、そこに法律学としての独自の仕事があるのです。法律の文字の意味に従う解釈を文理解釈といいます。

法律の体系を破らない論理解釈

 全ての法律は、全体として一個の論理的体系を構成するものですから、各条文の解釈は常にその法律全体としての論理的体系の一部として理解されなければなりません。

 一例をあげると、炭鉱労働者が炭坑で粉じん作業に従事した結果、じん肺にり患した。り患後数十年経って、被害者が雇用者やこの政策を推進した国に対して、損害賠償を請求する場合に、「不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しない時は、時効によって消滅する。不法行為の時から20年を経過したときも同様とする」と定める民法724条に照らして損害賠償請求権は消滅時効にかかっていないでしょうか。

 民法724条後段の20年の期間は、消滅時効と区別される除斥期間と言われ、通常その延長は認められません。しかし判例は、「加害行為が行われたときに損害が発生する不法行為の場合には、加害行為のときがその起算点となる」が、「身体に蓄積した場合に人の健康を害することとなる物質による損害……が発生する場合には、当該損害の全部又は一部が発生したときが除斥期間の起算点となると解すべきである。なぜなら加害者としても……相当の期間が経過した後に被害者が現れて、損害賠償の請求を受けることを予期すべきであると考えられるからである」と述べて、被害者の損害賠償の請求を認めました(最判平成16年4月27日)。この解釈は、学説の動向に従い、被害者の保護を図った論理解釈の例です。

拡張解釈と縮小解釈

 文理解釈と論理解釈との関係を言えば、一応各条文の文理解釈に立脚しますが、全体としての論理的体系の構成のために、個々の条文の文理が多少拡張的に解釈されたり、又は縮小的に解釈されたりする場合を生じます。
(我妻榮『民法案内1私法の道しるべ』勁草書房を参考にしました)
 地球の温暖化等、環境問題は深刻だ。南太平洋の人口9万9千人の小国キリバスは、平均の海抜高度は2㍍で、最も高いところでも高度は5㍍しかない。温暖化で海面が上昇すると、国土の多くの部分が水没してしまう。日本も同じ島国であり、人ごとではない。

 経済発展を鈍化させてまで温暖化対策を取ることはしないとしていたアメリカのブッシュ大統領も、議会や一部の産業界の声に押されてか、10年間でガソリン消費を20%削減させる目標を打ち出した。

 地球温暖化の問題に限らず、環境が守られるかどうかは、一人一人が危機意識を持ち行動に移すかどうかにかかっている。

 世界の国々を歩き回って、環境問題に取り組む各国の状況を映像におさめ、日本で紹介している松本英揮さんは、車は使わない。富山市で夕方講演を聴いたが、翌日の講演会場の石川県へも自転車で行くという。特殊な折り畳み可能な愛用の自転車に乗ったり持ち歩いたりして、公共交通機関も利用して全国で活動しておられる。

 森の保全も重要だ。森は炭酸ガスを吸収し、有機物を作り、酸素を放出する。台風、地震、大火、津波などの災害を防ぎ、環境を保全してくれる。死んだ材料だけの技術革新と刹那的な経済の豊かさのみを追求している現状に危機感を抱く宮脇昭氏(横浜国立大学名誉教授)は、日本国内外の1500箇所で3000万本以上の幼木を植えてきた。生態学的に見て、その土地本来の植生をもとにした「本物の森」作りを目指して活動中だ(『いのちの森を生む』NHK出版、宮脇昭著)。

 環境問題について書いたり発言するには勇気がいる。「こうすれば地球環境を守れる」という主張をすることになる場合が多いが、「それならあなたは何かしているのか」と逆に問われることを想定するからである。

 「混ぜればゴミ、分ければ資源」だからとゴミの分別をするにも関心と労力が必要だし、ビニール袋の消費を減らすために個人用の買い物籠を持ち歩くことも、意識していないと忘れてしまう。

 まして、自動車をやめて自転車を使うことにしようと思えば、寒さや降雨対策、両手を自由にするためのリュックサックの準備、さらに時間に遅れないように早めに家を出たりしないといけないし、何よりも自分の体力を考えて綿密に移動計画を立てないといけない。犠牲が伴うのである。

 しかし、地球環境の現状は座視してはおれないところまで来ているようだ。私も自転車出勤日を作ることを検討しよう。富山県人は「先用後利」(先に用いてもらい後で利益を得る)という偉大な商売の理念を生み出したが、これからは「先犠後喜」(先に犠牲となって後で喜ぶ)という、地球と共生する生活理念を実践していく必要がありそうだ。