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This is the archive for September 2006

2006/09/15

 ミーティング(会議)は、時間と場所を共有した人間が、相互に活発なコミュニケーションを通じて、異なる意見から全く新しいアイデアを創造したり、メンバーが互いを理解し合い連帯感を醸成するための貴重な場です。

 しかし、ミーティングはしばしば有効に機能しません。その最大の原因は、「議論が理解できないままに議論している」ことです。ファシリテータは、メンバーの論理の乱れを正し、足らない部分は補わせ、誤解や勘違いによって議論が誤った方向に行かないように常に気を配っていなければなりません。

 コミュニケーションを論理的に展開させるために必要な次の5つの段階を見ていきます。

 事実を共有化させる(第1段階)

 議論の起点は、事実に立脚しなければなりません。個人的な意見や観測を出発点にして意見を創り出したのでは議論の土台が危うくなります。話し手の観察を尊重しながらも、事実の確認を促すようにしたいものです。

 また、メンバーが同じ用語を用いながら別の内容のことを考えていたり、ハイ・コンテクスト状況(メンバー同士が同じ文化的な土壌を持ち、以心伝心でお互いが分かり合える状況)での議論で、主張の対象を明らかにせずに話を進めたりしていると、食い違いの元となります。

 根拠の乱れを正し(第2段階)
  意見を明確にさせる(第3段階)

 議論の過程で用いられる論拠は、必ずしも合理的なものばかりとは限りません。単に結論の裏返しを理由にしただけの同義反復になっていたり、経験によって築かれた単純化された決定方法を無条件に適用されたのでは、聞き手は理解に苦しみます。

 一般的に根拠として使えるのは、因果関係、例証(事例)、基準(ルール)の3つとされています。ただこれらが根拠として用いられていても、必ずしも正しく使われているとは限りません。相関関係があるので、一見因果関係があるように見える2つの因子(例えば「朝食抜き」と「非行に走る」)が共通の原因(例えば「家庭の荒廃」)がもとで生まれた結果であり、直接には因果関係がないということもあります。

 また、第3段階では結論を定量化して表現しないと意味が不明確になることもあります。

 暗黙知を伝え合い(第4段階)、
  復唱を使って主張の内容を整理する(第5段階)

 メンバー同士の議論で使われることわざ、著名人語録、他社事例、身近な出来事等が暗黙知(無意識に身につけている知識や理路整然とは説明できない知識であり、勘やコツなど)といえます。時にはファシリテーターはこういった表現を使って助け船を出してあげることが望まれます。

 また、復唱を使って主張の内容を確認できます。「ご意見を・・・・と理解しましたが、それでよろしいですか?」といった言い方には、議論という協働作業を促進させる効果があります。
 コンビニのトイレに「きれいに使っていただき、ありがとうございます。」という貼り紙がしてあった。トイレを使う人はきれいに使うかどうか分からない。汚してそのまま出ていく人もいるかもしれない。しかし、「きれいに使っていただき」と未来(使用後)の姿を断定的に表現されてしまうと、きれいに使わないといけないという気持ちになってしまう。

 あるセミナーでは自分の墓碑銘に書いて欲しい内容(「何某はこの分野でこのような業績をあげた」等)や、自分の訃報記事を自分で文章化させていた。いずれも、未来(死後)の自分がどう評価されたいかを考えることによって、これからの自分の生き方を考えるきっかけとなっている。

 未来の自分の姿は、いわば人生の「設計図」に該当しよう。建築物であれば「設計図」の他に施工管理や工程管理があってこそ建物完成への道筋が明確になる。では、人生の工程管理はいかにして行えばよいか。

 コーチングにヒーローインタビューという手法がある。コーチからコーチングを受けるクライアントが仕事などの目標設定をし、目標が達成したと仮定して、コーチから「おめでとうございます。今のお気持ちをお聞かせ下さい。成功した原因は何だと思いますか」等ヒーロー(成功者)にしてもらってインタビューを受けるというものだ。面白いことにこれを受けると成功パターンが一つだけではないことが分かることがあるという。

人生の工程管理を支援するもう一つの方法は、中間の目標を設定することだ。30歳ならば60歳になった時の完成図だけでなく、そのためには50歳や40歳の時にはここまで実現しておこうという中間図を描くことである。

 実際の時間は現在から未来へ向かって流れているが、心で未来のことを描くとそれが原因となって、現在すべきことという結果が出てくる。現在が原因で未来が結果という普通の因果律とは異なる、このような原因、結果の関係のことを内田順三氏は「精神としての武士道」(コアラブックス)の中で「逆向き因果律」と呼んでいる

 そして、それは過去と現在との関係にもあてはまるという。つまり、過去の不幸な体験(事故、病気、離別など)も現在から見れば、自分の人生に必要なものであったと理解されるときに、過去に対する解釈が変わり、人生が統合されていくというのだ。

 過去は変えられないからと考えない人、未来を考えずとも今与えられたことをし続ければそれで良いと考える人、また計画は立てた方が良いとは思うが、変わるかもしれないからあまり意味がないと考えている人もいる。

 しかし、それは人間の想像力や、価値の発見により再起する力を過小評価している。過去の自分の人生を振り返る老人の統合の感懐を若者が知れば、人生に無駄なことはないと思え、勇気を持って未来を構想できるのではなかろうか。