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This is the archive for July 2006

2006/07/15

 ファシリテーションを行うファシリテーターは、日本ではまだ会議の進行役くらいとしか認識されていません。しかしファシリテーターが果たすべき役割はとても大きいのです。組織のパワーを最大限に引き出し、高度な問題解決に導きます。意見自体ではなく、意見が交換されるプロセスをコントロールすることによって、組織の活力を引き出し、意思決定の質を上げます。そして、メンバーに学習を促し、組織の成長を促します。ファシリテーターが行うファシリテーションとは、問題解決に欠かせないコミュニケーションの技術のことです。

 米国社会では、ファシリテーションはマネージャーなどの管理職に就く者が身に付けておくべきスキルの一つとして捉えられています。ファシリテーションの能力の乏しい人は、プロジェクト・リーダーを始めとする重要な仕事に用いられることはなくなるだろうとも言われています。

デザインすべき五つの要素

 優秀な人が集まろうが、そうでない人が集まろうが、一定の成果を出そうとすれば、問題解決活動の枠組みをデザインしておくことが必要です。そのためには、次の五つの要素が不可欠です。

①目的(狙い)
 使命とも言います。「売上拡大」「教育の強化」などと共に「年間売上3000万円」「年間100人を教育する」など定量的な目標も添えて定めればモチベーションが高められます。

②アウトプット・イメージ
 活動によって生み出される成果物のイメージのことです。目的が同じでも作り上げるもののイメージが食い違っていると、集める情報も議論のポイントもずれてしまいます。教育された人がこのように変わったという状況を説明する文章でもいいし、アウトプットが提案書であれば目次でも構いません。

③活動プロセスとスケジュール
 どんな情報(インプット)をもとに、どのようなやり方で何を生み出していくか(アウトプット)を基本単位として、その繰り返しをチェーンのようにつなぎ上げていくのが組織的な活動プロセスのデザインです。それを行動計画に落とし込んでいくことでスケジュールが定まります。

④役割分担
 ファシリテーター役、記録係、時間管理係等の役割を決めて会議を始めます。ファシリテーター役は、議長やプロジェクトリーダーが務める場合と、外部のコンサルタント等が務める場合とがあります。活動の性格に応じて決めるのが良いでしょう。

⑤活動規範
 活動を進める上でメンバーが共通の価値観を持っていた方が連携を取りやすくなります。「反社会的なことまでして売上拡大を図ることはしない」という活動の基本的性格に関わること等です。

(「問題解決ファシリテーター」(東洋経済新報社)を参考にしました)
 「命あっての物種」(何ごとも命があってのことで、命がすべての元となる)ということわざがある。過労死のニュースを聞くと、このことわざはその通りだと思う。仕事のしすぎで命を落とすなんてもったいない。
 しかし、同じことわざでも用いられる文脈が違うと、異なる印象を持つ。

 マザーテレサは、死を避けることができない人のために「死を待つ人の家」を作り、生まれてこのかた薬すら飲ませてもらったことのない貧しい人々に、食事と薬を与え、看護をしてあげた。合理的な考え方に慣れている日本人の中に、この話を聞いて「医薬品が不足している状況であれば、死ぬと分かっている人ではなく生きる望みのある人を優先的に看護してはどうですか」と尋ねた人がいるという。

 しかし、マザーテレサの活動は、死にゆく人の手を握り、「あなたも私たちと同じように望まれてこの世に生まれてきた大切な人なんです」と話しかけることであるという。生死を超えて存在自体を無条件に愛する精神の前では、「命あっての物種」のことわざは色あせてしまう。

 自国の勝利や独立のために民衆の先頭に立って闘い、その結果生命を落としたフランスのジャンヌダルクや韓国の柳寛順も、生命以上に自由や民族の誇りを優先させたのではないかと思う。

 人は使命感を持つと寝食を忘れてそのことに取り組む。「使命」ということばは「命を使う」と書く。命はより高
い価値を実現する手段として用いてこそ、その価値を最大限に発揮することができるのではないか。

 生徒が自殺したり同級生を殺したりすると、学校の校長先生が全校生徒の前で「生命は大切です」と訴えるが、生命自体の価値を訴えても生徒の心に響かない。「あなたが死ぬと家族や友人や先生など、あなたを知る人が悲しむ」ことを伝えると共に、「生命を用いて自由や愛という価値を実践できるのに、生命がないとそれが実践できなくなる。だから生命は大切です」というメッセージを伝えてこそ心に届くのではないかと思う。

 かつて自己啓発プログラムの販売の仕事に従事していたとき、「生きるために売るのではない。売るために生きるのだ。」という標語が会社に掲げられていた。そのプログラムは目標設定と行動計画を立てることを支援するもので、真面目に使えば確実に充実した人生を送ることができるとして、販売員は仕事に誇りを感じていた。そのときは気がつかなかったが、今になって思えば、「生きるために売るのではなく、売るために生きる」というのは、生命を超越して使命に生きることと同義なのだと感じる。

 定年退職を迎え、することがなくて時間をもてあましている人がいると聞くが、生きること自体を目的としてきたことの結果ではないのか。「自分の生命があろうがなかろうがこれは実現したい」という使命感を持って全力投入できれば、充実した人生といえるのではなかろうか。