刑法犯で検挙された者のうち、65歳以上の高齢者は平成元年には9642人だったが、平成17年には46980人と、わずか16年間の間に約5倍に急増したという(『暴走老人』藤原智美著、2007年文藝春秋発行)
 2006年函館市で、煙草の自動販売機の前で、70歳の男が、前で煙草を買う60歳の男の買うのが遅いとして、けんかの末に殴り殺した。同じ年茨城県坂東市で、コンビニでの立ち読みを注意され逆上した70歳の男が、軽トラにあったチェンソーにエンジンをかけ店の外に置き、店内で「バラバラにしてやる」と怒鳴り逮捕された。2007年埼玉県熊谷市の居酒屋で、顔見知りで不仲な68歳の男と59歳の男が言い争いとなり68歳の男が自宅から散弾銃を持ち出し、「お前を撃っておれも死ぬ」と叫び、相手を射殺して自殺した。

 社会のIT化・情報化に老人はついていけなかったりイライラする。宅配便の不在連絡票を見て再配達を依頼したり、役所に何か問い合わせをするのに電話をしても、人が出ず番号を押せと言われ、何桁もある小さい字を読むことを強いられる。音楽を聴くのもコンピューターからダウンロードしてICで聴くことは便利かもしれないが、そのような音楽の消費形式に自分のメンタリティがついていけなかったりする。

 そのうえ少子化が進み「孤独な郊外」で隣り合わせの独居老人が、地域の権威も社会秩序もなく家族もいない中で、自己顕示欲を管理できないと孤独感の爆発が悲惨な結末を呼び起こす。

 そのような現代の日本社会でも、他の人のために忙しく活動する奔走老人がいる。『奔走老人』(2016年ポプラ社発行)の著者谷川洋氏もその一人だ。

 大手商社を61歳で定年退職し、アジアの辺境(タイ、ベトナム、ラオス、中国、ミャンマーの5カ国が接する山岳地域)に学校を作るために、現地の村の住民集会に参加して学校建設を提案する。「学校を作っても意味がない」との反対にあっても、言葉が読めるようになると希望を持って生きていけるようになることを訴え同意を得、現地NGOをはじめ各国政府の役人や建設業者にコンタクトを取る。日本に戻り、現地の子どもと日本の子どもを交流させるために、交流校を探しまた現地に向かう。文化や習慣の違いに戸惑い、日本の教育システムの壁にぶつかりながら、支援金集めのために東奔西走する毎日を過ごしておられる。

 63歳の私はもうすぐ高齢者の仲間入りをする。暴走老人になることなく奔走老人となるためには、どうすればよいだろうか。多くの奔走老人に会い、活動の使命感やエネルギーを相続するとともに、これまで多くの人に支えられてきたことに感謝して、恩返しをする分野を見つけ、明確な目標設定が肝要であるに違いない。